怒りの感情ではなく
愛のある言葉を
かけてあげることだよ。
こんにちは、Tengudoです。詩人、ダイバー、フィリピンスペシャリスト、の何とかなっちゃう話にようこそ。今日も斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージー令和編」にインスピレーションを得ました。
梅雨の時期ですね。ゴミ出しに外に出ると涼しいですが、家の中は大変な湿気ですよ。梅雨が終われば、夏ですね。今年はどんな夏になるのでしょうか。コロナは終息しない。オリンピックの論議は続く。少なくとも東京都知事選挙は延期にならないでしょうね。7月5日の投票日が来て、次の人になる。ああ、終わりが来るって素晴らしいですね。
今日の一人さんの一言、似たようなアドバイスを父親代わりのマンフレッドからも言われたことがあります。マンフレッドは亡くなっていますので、このセリフは一人さんの言葉として入ってきますが、事業で成功している人は、誰でも知っていることなんでしょうね。
問題は、最初っから「お前なんか辞めてしまえ」くらいの評価しかしていない相手だったりするときですね。初めっから愛のある言葉なんて見つけられないような相手もいますよね。しかし、なぜか自分が言わなきゃいけない場になってしまったりすることもあります。
わたしの場合は、英語が仕事ですからね、場数を踏んでない人の言うことは、正しいように聞こえるけど、正しくないことってあるんですよ。例えば、原稿を事前にもらわないなら、そのコマを担当しませんという人がいたとします。通訳として正しいように聞こえるでしょう?でもね、その領域を知らないと言えて恥ずかしいと思わないような経験しかないんですね。報告者の職位や見識や人間性が変われば、会議もいろんな会議になるわけでして、自分の訳出しと会議の進行は関係ないこともあるんですよ。わたしがそれを理路整然と説明すると、わたしのほうが、駆け出し通訳さんよりもっと正しいわけです。
するとわたしのほうが経験があって、より正しい分だけ、わたしが恨まれるんですよね。だから、やっぱり愛のある言葉が出ないと自分で自分にいばらの道を作ってしまうことになります。
最近のわたしは、カフェキネシで調整して、会議通訳して浄化してます。仕事(通訳)のストレスは、やっぱり仕事(通訳)で全力を尽くすのが一番解消になります。お説教よりアドバイスするのはわかった。だから、アドバイスできそうかな~って判断することにしました。わたしはね、その修行レベルです。