今日から一年が始まる

そして命が始まる。

令和元年となりました。皆さまにとって、素晴らしい一年となりますようお祈り申し上げます。また、本年もどうぞよろしくお願い致します。

今日からは、斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージ 令和編」からインスピレーションを得ています。

さて、わたしは大掃除をして普通の年末を過ごしました。今朝は静岡市の浅間神社に初詣に行く予定です。非常に普通ですが、久しぶりに普通の年末となりました。ある年は、坐骨神経痛で夜も眠れない痛みとなって年が変わったり、ある年はフィリピンの北の方にいたり、またある年はフィリピンの南の方にいたりしてました。もちろん、寝正月の時もありました。

普通は、普段から普通を通すと決めて頑張らないと出来ないことなんでしょうね。そして、頑張って普通をすると、報われるものも大きいのでしょう。わたしは今年は普通の年末を過ごしましたので、大変清々しい元旦を迎えています。

でも、斎藤一人さんは「普通は大変だよ」とも仰っていますね。だから、生きて生活をしていれば、普通ができないこともあるよと。そういうことがあっても、「今日から一年が始まる」ので、新しい気持ちで新しい命を生きましょうって、背中を押してくれているんですね。

わたしは、今年も前に足を踏み出すことができなくなっている人の背中を押してあげたいです。わたし達は全員、自分達が生きることで誰かを幸せにする力を持っていると思っています。例えば、わたしが朝、起きておはようというと、わたしのパートナーや弟が、良かったと思ってくれます。わたしが大掃除につかったダスターやバケツや、地球大好きクリーナーを売った人、販売した人、作った人にそれぞれ経済的な対価が支払われます。

だけどね、プロとして活動するとは、対価をいただくのであって、それはダイビングであれば人の命を預かったり、通訳であれば会社のプロジェクトの運営の一端を担うわけですから、失敗を最低限にする努力は常に必要です。失敗しそうになっても、何度も挽回するチャンスがありますので、それを大胆に掴みに行って、活かせないといけないです。

それでもやっぱり失敗したら、自分の非は認めないといけないですね。そこから上がってこなくていいなら、見ないフリをしていればいいですが、その決断が間違っていれば周りが離れていくし、大体、自分から逃げ回れないですからね。

「自分の非でない!」と思う人もあるかもしれません。そういう時もあると思いますよ。いじめの時ですかね。いじめられているのがわかったら、お前、このわたしを、このオレを舐めてかかっているなと思ったら、使える人材、事実関係等の材料を全部使って舐めるなよと態度で示しましょう。

これからはグローバル化が進みます。言葉ができないから舐められるのではありません。舐められた後、なめんなよをしないからですよ。あるいは、自分は忙しいからね、時間ができたら遊んであげるよ、と言えないからね。

「こいつ、すぐ校長先生にちくる」と言われたことが、そういえばありました。でも、その子達のいじめは終わったよ。

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