卵塊とモリアオガエル高山や

Egg masses
Of Forest Green Tree Frogs
Wow, Takayama

令和だからさ、そろそろ「まじめすぎる思考回路」
を正そうよ。

ひとりさんの一日一語 (令和編)

マウンテンバイクで藁科川を上流に向かって40分から1時間半ぐらいサイクリングを楽しんでいます。乗り始めてから今日で24日経ちました。数日前、突然スコトーマが外れて、高山市民の森という看板の文字が、脳に届きました。調べましたら静岡市葵区高山という山の上に市民の森がありまして、水芭蕉が見られるのだそうです。尾瀬に行かなくても水芭蕉が見えるならぜひ見たいので、右の道に自転車で入ってみました。勾配がきつくて、今のわたしでは無理でした。それで車で、高山・市民の森に行ってみました。

水芭蕉の花の時期は終わってしまい、花穂が倒れていました。水芭蕉がある高山の池は天然記念物のモリアオガエルがいるところでした。池ではカエルを採集しようと前のめりで来ていた少年の家族と行き会わせました。わたしがカエルを見つけたとわかって、悪びれる様子もなく寄ってくる兄弟に教えてあげながら、わたしは以前は「自然の中でガイド」が天職であったと思い出しました。喜んでくれるお客さんの顔が明日のわたしの糧でした。少年の興奮ぶりが心地よかったのでした。

ガイドをしていたフィリピンから母の介護のために帰国し、自分の立ち位置を神的視点で認識できないまま、ダイビングの仕事をあきらめることも、専念することもできず、結局うじうじと何万円もの年会費だけ何年も支払っていました。そのうち、決断しないうじうじに慣れてしまいました。しかし決断しないし、行動しないで考えすぎて心療内科に通ったり、癒しの講習にお金をつぎ込む数年間を過ごしました。

世の中は会社員と会社員じゃない人に分かれていると思いませんか。

会社員を選ぶなら学歴で待遇が決まります。そして、人間関係が修行の種となるんですね。会社員じゃない人は別の修行の種があって、学歴と報酬は比例していないみたいですね。どちらでも正解。どちらでも仲間。自分がどちらでもいいし、どちらかじゃなきゃいけない「まじめすぎる思考回路」をやめても行き会わせた少年に帰るを見つけてあげる楽しい決断はできるし、できる時にはそうするべきじゃないかと、思いました。

頭に天国言葉。心に感謝。体に栄養。顔につや。これは一人さんが教えてくれた、無明の世界に生きている人のために光になる方法でした。だから、わたしも光になることにしました。わたしも、皆さんと同じように数式に当てはまりきらない人生を生きています。自分の足で立って、幸せな家庭を作ろうと心がけています。初めて行った高山の池でカエルを捕まえたい小学生とも優しく触れ合えました。楽しい。楽しいが一番だよ。

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