愛に対しては愛で応えるものなんだよ

今日も「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージ」にインスピレーションを得ています。

半年前終了したプロジェクトのメンバーで、ずいぶん懐かれたが、相当尻ぬぐいもさせられたアメリカ人がいました。その彼が今日、不意に顔を出しました。カフェキネシでセルフチェックしたら、10番の流れが滞っていました。

アロマのメッセージは「あなたが参ってしまったのはなぜですか?」

最初に湧き上がってきた感情は「欲しくない愛情を受け取ったから」。

次に、思ったことはわたしが「まだ、その感情が生々しくて時間が必要」と思いました。

その次に、「6か月も前のことだが、生々しいという理屈は何か月前までが通るのか」と思いました。

だいぶ冷静になれたので、「その種類の愛情は欲しくないと明らかに伝えられなかった」ことに気づきました。

世の中にかまってちゃんはたくさんいますね。おそらく、人が二人いたら、必ずどちらかはかまってちゃんの役、もう一人はかまってあげる役なのでしょう。ナンバーワンに上り詰める人がいると思うので、この集団、あの集団でもかまってちゃんのナンバーワン、かまってあげる役のナンバーワンがあるのでしょう。

わたしはかまってあげる役をよく担当させられます。しかし、それが立ち行かなくなる時があるのです。わたしがすることを当たり前だとスルーされる時、愛で応えてもらってないときかなと思います。そして、わたしは度が過ぎるお人好しで、そういう相手に対して伝えるべき言葉が、そもそも脳みそに入っていないところがあります。

相手に伝える言葉も、年齢、性別、学歴、経験、国籍、考慮してあげるべきことはたくさんあるかもしれませんが、とりあえず言ってみて、行動してみて伝わるかどうか試してみないといけないと最近思うようになりました。

今日は、実際には静かに歩き去りました。わたしが毒を吐いて周りの人が驚くような事態になるよりはと思ってのことでした。わたしが今日できる精いっぱいの「愛」の行動でした。

次に会うときは、今日の行動の延長線上になるのでしょう。ならないかもしれないですけどね。だって、わたしは「ついてる」の波に乗ってるんです。それに行動の選択は愛に基づいていた!だから、「大丈夫!」です。

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