感情を解放する

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綿の畑は収穫を待つばかりとなりました。収穫まで気は抜けないものの、手がかからなくなったなと思うと、寂しいような気もします。

綿を見ていて、自分の心の動きを客観的に見ることにもなりました。綿を「ウチの子」と呼びたくなったり、まだまだすることがあって、それから収穫で、その後に何をするかもわかっていないのに、冬越えしない木であることを嘆いたり、緑の綿なんて見たこともないのに初めて植えて「ウチの子は色が出ないみたいだ」と言ってみたり。

自由に生きるとか、ストレスフリーとか、調整とか、中庸とか、どれだけ多くの方法を知っていても現実は、死ぬまで調整や、デトックスを続けるのであって、一回調整すればいいわけではありませんでした。綿は知らず知らずのうちに、溜め込んでいるわたしの感情を解き放してくれていました。

皆さんは違うかもしれませんが、わたしは裏と表と言って、真ん中を忘れて来ました。白と黒と言って、その間にあるグレーを悪者のように表現してきました。綿を植えたら、自分の心の動きが傍観できて楽しかったのです。晴れたら作業は楽だけど、水撒きが大変。雨が降ったら嬉しいけど、大雨は困る、風はいらない。土に石灰や牛糞堆肥を撒いて良い土にしようとして、その証拠に雑草が生えると邪魔扱いする。そのうちに雑草にも愛情が湧いてきたりする。

それは全て、理不尽な心の動きでした。

他人のセリフですが、「人間だもの」。そして理不尽がわたしのミドルネームですね。皆さんも、ミドルネーム、理不尽いかがですか?

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セブ島でスキューバダイビングショップの店長だったわたし。その時は、のちに日本に帰国することになるとは思いませんでした。さらにキャリア転換をして、英語通訳になるなんて夢にも思っていませんでした。きっかけは、アブサヤフのシパ