旅立ち

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わたしが最初にフィリピンに移住したのは1990年代のことでした。7月7日七夕の日に成田からフィリピン航空でセブに向かって旅立ちました。ダイビングのインストラクターとして仕事が決まっていましたので、まさに旅立ちでした。

今から当時を思い出すと、ワイルドな時代でした。

農協ツアーの無作法が海外で言われて久しい時代。

日本人にまだエイズ感染者はいない時代。

売春ツアーと言うものが存在したころ。

フィリピンは売春ツアーで人気ディスティネーションでした。

今から自分のことを思い出しても、なかなかワイルドな時代でした。

当時はぷっくり体型でした。

自分の親から逃れるための海外就職

当の親は、わたしの足にすがって止めたので、実際振り払いました。

トラベラーズチェック200ドルだけ持ってました。

当日母と友人が一人成田空港まで見送りに来てくれましたが、わたしは笑いが止まらなくて、涙の別れなんかありませんでした。前途洋々と思っていました。

今でも時折思い出しますが、あの頃フィリピンに行く飛行機はボーイング747とか、エアバスA300とか。300人~400人が乗るわけですが、中高年の男子ばかりでした。まだ若かったわたしはそのおじさん軍団の灰色具合とか、枯れ具合とか、下半身のエネルギーにギョッとしました。

わたしの年代の若い女子の一人旅はいない。ゼロ。ナーダ。

隣に乗ったおじさんが話しかけてくれて、「仕事が決まったので、行くんだ」と言ってしまったんです。それからセブに着くまで延々、「豊かな国の日本人のわたしがフィリピンに仕事に行くと豊かではないフィリピンのフィリピン人の仕事がひとつなくなる」という演説をされました。

若くても、理論が間違っているとか、おっさん胡散臭いとかはわかるんですよ。

筋の通っていない、楽しくないことを言ってくる人がいたら、うまくかわしましょうね。売春ツアーのおっさんだろうが、隣のおばさんだろうが、上司だろうが、小姑だろうが関係ないですよ。

あのときの自分に言ってあげたいけどね(笑)。

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母国語以外で話をしていると、必ず「うまく置き換わらない表現」に出会います。
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介護帰国から始まったわたしの通訳ジャーニー

セブ島でスキューバダイビングショップの店長だったわたし。その時は、のちに日本に帰国することになるとは思いませんでした。さらにキャリア転換をして、英語通訳になるなんて夢にも思っていませんでした。きっかけは、アブサヤフのシパ