死ぬのは寿命が来た時

だから、寿命が来るまでは死なない。

こんにちは、Tengudoです。詩人、ダイバー、フィリピンスペシャリスト、の何とかなっちゃう話にようこそ。今日も斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージ」にインスピレーションを得ました。

わたしはおっかない人に怒られながら勉強するのが修行の道だと思っていた時がありました。子供の頃は、巨人の星という漫画がありまして、おっかないお父さんにトレーニングされて息子の雄馬が立派な野球選手になる話だったんです。巨人の星のおっかないお父さんはフィクションですが、おっかない人は実はどこにでもいたんです。しかもおっかないだけで、立派に育てることはできない人。

大変申し訳ないですけどね、おっかない人と聞いたら、わたしにとっては「ある元看護師」さんと「また別の元看護師」さんです。わたしが病気だった時、薬草樽と天然塩で治してくれた先生も、おっかなかったです。でも、おっかない人の言うことを聞かなくったって死なないんだよ。反省とともになぜかをご説明しますと、死ぬのは寿命が来た時だから。

今の時代はおっかない人でも容認されるってことはあんまりないですね。おっかないとかおっかなくないは、心コロコロの仕業だっただけです。わたしも人によってはおっかない人になる時があります。両方の立場に立たされたので、おっかない人たちは、おそらく自分の観点でわたしとか目の前の人の成長を願って、ベストなアドバイスをしたつもりだったんでしょう。

わたしは転居したり、転職すると昔のお付き合いがなかなか続かない方です。またあえてご縁を切ったこともありました。わたしとは縁が切れても、その後わたしの友人とのご縁が繋がって、経済的に大きく改善した人もいるんですよ。「ある元看護師」さんの出世は、どう考えてもわたしのお陰ですが、神様がくださったこの体験から、悪い縁というものはないらしいと学びました。

わたしの行動が、わたしの知らないところで誰かを幸せにしたのを現実に目撃しましたのでね、わたしのような人間であっても、(ビル・ゲーツさんとかジェフ・ベソスさんじゃなくても)何気ない行動が、本人が知らないところで誰かを幸せにしちゃっている可能性がものすごく現実的にあるわけですよー。死ぬまで自分らしく生きてOKですね。自分を許して、怖がるのもやめて、行動しなくちゃ、もったいないですー。

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