神様は乗り越えられないような問題をあなたに絶対に出さないよ

今日も「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージ」にインスピレーションを得ています。

ご縁があり素敵な女性と知り合いになりました。とんでもない男性と結婚していました。奥さんの家とビジネスセンスで財力がある家に無料で住まわせてもらい、朝から酒たばこ三昧、奥さんの友達や仕事仲間に下ネタを言って、乗ってきた人と浮気です。最近は70歳近くなり、浮気の頻度も減ったようですが、無くなってはいないんですね。

そのご夫婦と知り合って2年経ちました。全部で5回ぐらい会ったかと思いますが、「セクハラの修行はフィリピンでたくさん積んだので、この先もある程度見える。わたしは奥さんのファンだけど、もうお付き合いは結構です」とお話しさせてもらいました。

わたしが中心の見方をすると、その旦那はわたしにセクハラをしても大丈夫と舐められてるんですね。いじめられっ子のオーラダダ洩れなんですね。

旦那さんが中心の見方をすると、うまくいけば一期一会、浮気相手、あるいは将来奥さんに捨てられても食べさせてくれる女の候補を見つけようと必死なんですね。

奥さん中心の見方をすると…。どうなんでしょうね。奥さんはご主人がいなくても大丈夫そうなんですが、どうして離婚しないんでしょうね。人生、それぞれ修行のネタを持って生まれてきて、逃れられないと思う心があるんだなという感じですよ。

でも、その奥さんは女癖の悪い旦那に関する修行は終わってる感じなんです。また別の修行があるのでしょうか。うまく家事分担ができているとか、寂しくないとか。寂しいのは辛いですね。

でも、神様は乗り越えられないような問題を「あなた」に絶対出さないんですよね。だから、この修業はいらない、この修業で自分に学びはない、この修業は終わって、次の修行を始めると判断することも修行の一部で神様に背いているわけではないですね。

でも、そういう時、仲間にそばにいてもらいたいですね。昨日までと違う今日になってしまうとき、支えてくれる人は欲しいですね。いますよ、きっと。構えるとドキドキしますが、それは「恐れ」で、明るいことを考えてないときに頭に入ってくる間隔なんです。

だから、決心して、「絶対大丈夫」と信じているべきなんじゃないかと思うのでした。

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