自己肯定・アサーティブネス

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自己肯定・アサーティブネスの話。フィリピンのケーブルテレビでVoiceというアメリカのオーディション番組が見られます。マルーン5のアダムと元ユーリズミックスのデイブが、ある男性参加者のコーチをしているパートを見ていました。その参加者はとても素晴らしい声と表現力を持っているのに自分でそれに気付いていない、だから表現力のところで伝わり切れないというようなお話でした。

自分がこの場にいていいのかわからない、自分がやろうとしていることが受け入れられるかどうかわからない。自己肯定・アサーティブが確立できていない状態で、自分の要求を表現するということは日常生活でもよくあることかと思います。例えば、今のわたしたちのような状態。わたしにとってはなじみのある場所で、パートナーにとってはなじみのない場所に、二人一組としています。用事をしなければならない時に、自己肯定・アサーティブの状態で話をしなければ、自分がほしい情報・条件・モノにたどり着くのが遠回りになってしまいます。

アウェイな外国では、外国語で会話をする必要があり、自分の慣れているアクセントと慣れていないアクセントがあり、単語もしかり。初めにはお互いを少し探るような感じになることもあります。お互いを知りあうまでのプロセスでの、自己肯定はとても大切です。うまく自己肯定ができないと、自分の一番の味方に八つ当たりをするような羽目になります。だから自己肯定は大切です。ですが、自分の思った通りにならないことになってもOKと最初に覚悟を決めておくと、うまくいきやすいかもしれません。

フィリピンはラテンの国なので、個人主義、優しい人たちばかりですが、思考が自由過ぎて、ヨーロッパ式、日本式になれている人には驚かされることも多々あります。それを理解しようとするのが、自己肯定ではなくて「わかんないのよね~。でも、わたし(僕)は平気」というのが自己肯定。

今は自分がダイビングのインストラクターという自意識(エゴ)で潜っていた時には見えなかったことも見えてきます。最大深度30メートルのマルチレベルダイビングで、潜水時間60分のダイビングができる人しか今日、このボートに乗っていないと思うと、いろいろな運営上のストレスがなくなるのと一緒です(それは危機管理とはまた別のお話なのですが、ここではその話はしません)。

自己肯定・アサーティブネスとは、なによりもまず、ユニバースと自分の取り決めとして認識すると、楽しくないですか。

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介護帰国から始まったわたしの通訳ジャーニー

セブ島でスキューバダイビングショップの店長だったわたし。その時は、のちに日本に帰国することになるとは思いませんでした。さらにキャリア転換をして、英語通訳になるなんて夢にも思っていませんでした。きっかけは、アブサヤフのシパ