あの頃のわたし

昔のわたし、セブでダイビングのインストラクターをしていたころのわたし。

開催したイベントは成功を続け、固定客がつき、取材が来るようになり、離島で出会った日本人から一緒に写真を撮ってくださいと言われたりしていたころ。

潜る前に、バラクーダの群れの出る場所がわかる、みたいなことも続いたときがありました。海の神様や天候の神様がわたしの後ろについていると思ったものでした。

その後、痴ほうの母を見舞うために日本に戻り、目の前で母が壊れていくと思ったわたしは、介護する決心をし、自分に「昔のわたし」を封じました。

昨日、来週の訪比を控えて、「昔のわたし」が出てきそうになるのを必死で抑えていました。

明るくて、自信にあふれ、周りの人から愛されて、愛を返して、リラックスしていた自分が、「セブ」「My Dear」「ダイビング」「Deutschland」などの、キーワードの組み合わせで、封印を破って出てきてしまいそうになるのです。

必死で落ち着こうとしていた自分に、「?」と思いました。介護は終わったのに、なぜまだ「昔のわたし」を封じる必要があったんだっけ?

わたしはあの頃、自分がやっていることが人を喜ばせている、人を幸せにしていると思って全身で充実していたのです。

今の通訳も、(キネシオロジストとしても)そこは変わっていません。だったらどうして今、明るくて、自信にあふれ、周りの人から愛されて、愛を返して、リラックスした自分になっていけないのでしょうか?

もし、わたしが、そういう自分になったら、今の周りの人は変わるのでしょうか?

ドクター・ジョー・ディスペンザの瞑想してみました。そしたらね、変わるみたいですよ。あの頃のような仲間の輪ができるみたい。

ただ、あの頃より今は人として環境サステナビリティへ取り組むべきの責任が増えました。

それが、大人になったってことですね、わたし。

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