わたしは仕事が好きなんですね。ある種の波動が出ていると思います。しかし、通訳ですからね、会議の主役ではありません。会議の参加者に、勝ち組と負け犬の波動がわかるときがあります。わたしは勝ち組の波動が好きです。遠くが見渡せるような気がします。勇気が出ます。失敗しても、立ち上がって続けられるような気がします。
しかし、セクハラ、パワハラにあうこともあります。
ここで、一句。
セクハラに 怒るは正当 恥は無用
言い出す人の方が、ナイーブで成長していないと言われることがあります。そういうナイーブなタイプが、TPOをわきまえない行動の結果としてセクハラ、パワハラを招くケースもあるでしょうが、そうでないときもありますね。違いますか?
有名なところでは、アメリカの映画プロデューサーのハービー・ウエインスタインが権力を盾にセクハラしてきたことがありました。
わたしが被害者を個人的に知っているアメリカンスクールインジャパンのケースでは、セクハラが明るみに出て、加害者であった先生のジャック・モイヤーは自殺しました。彼は、女子生徒を30年に渡って課外授業でセクハラしました。
加害者は自分が思う通りになるような相手を選んで、相手が自分を断れない状況に追い込むのです。程度や経済的な影響範囲の代償はあっても、やったことは同じです。パーソナルスペースを脅かすのです。
そして、相手に選ばれてしまった方は、仕事をしたくない、学校に行きたくない、とかよくわからない不機嫌が続き、それでも「あの人は、社長だから、先生だから、まじめな人だから、うつ病だから」とか、なんとかプラスの面を考えてあげて、「自分が悪いのでこの状態を招いたのだ」とか、「自分が騒ぐと周りに迷惑をかけてしまう」、「仕事を辞めなければならない」と思ってしまう。
でも、恥は無用なんです。
あるトークショーでザック・エフロンが「顔がいいと冷やかされて、申し訳ないと思う」というような意味の発言をしたら、シャーリーズ・セロンが「それはあなただけじゃないわ。申し訳なく思う必要はないの。わたしは思ってないわ」と言っていました。自分がある性質を持っていることは、事実としてそうですが、すなわち悪いことではないんです。
だから自分が不快だったら、不快でいいんです。成功者のそばに行って、波動を浴びたら、わたしのセリフも信じられると思いますよ。