Blur
Girls and Boys
今日も、斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六五のメッセージ」を題材にします。
友人のお母さんは、80を過ぎて、美しくて、社交ダンスもしていて、頭もしっかりしていて、素敵な人です。子供のころは養女に出されていたのだそうです。昔は、子供が多い家に子供のない家から一人くださいと話があって、はい、どうぞということは普通にあったのだそうです。聞いて驚きました。
そういえば、わたしが子供の頃、家に叔父が来て、両親にわたしを娘に欲しいと言った時がありました。すごくドキドキした覚えがありますが、結局「おじさんチの子」にはなりませんでした。その後、両親が離婚して、弟と共に母に引き取られました。その後は母、わたし達の小学校の担任の先生と再婚し、また離婚しました。
その後の人生も波乱万丈過ぎて、心も体もキズだらけですと思っていましたが、友人のお母さんの話を聞いて、生きていればいろんなことはあるのだったのだと思わされました。
わたしの世代は経済が発展した時期で、BlurのGirls and Boysに歌われるようにバケーションでみんなが同じ場所に行って、みんながみんな一の夏の恋のために、あるいは一晩の恋のために相手を漁り、それが自由に生きることだと思っている人間達がいたのでした。
しかし、今も、きれいな写真が取れるところに人間達が訪れて、SNSにアップロードして、全員が全員、自分が一番個性を自由に表現していると思っているのかもしれません。
東大救急病院の矢作教授が、うろ覚えですが「動じないで生きる」という著書の中で、最近の人は「なんで自分だけこんなことが起きるの?どうして、どうして~」と反応することが増えたと書いていました。医療現場では、手術はうまくいったのにその後亡くなってしまうことがあったり、亡くなるだろうと思った人が回復したりということが日常的にあり、昔は子供が亡くなってしまったと伝えても、「わかりました。ご尽力ありがとうございました」と姿勢を崩ず、恨まない親御さんが普通にいたのだそうです。
興味深いと思ったんですよ。人の死に際して、ドラマを演じることと、人のまねをしてクリエイティブなことをしていると思うことって、深層心理は同じかなと思えました。
自分の人生観が広がり、波動が上がるような体験に際して、ダメかもって思うことも、きっとありますよね。でも、「いやいや、まだまだ」と歯の間から押し出すように言って、その後でやっと「波乱万丈ドンとこい!」って、言いたいですねー。