今日も、斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六五のメッセージ」が題材です。
昨日は時差対応で21時から22時30分の通訳のお仕事がありました。参加はアメリカ、中国、インド、日本から。内容としては専門的な技術設計とデータ管理のツールを連結して使用する方法のデモでした。
PinkさんというひとのWhenと言う本の中で、わたし達は早起きのひばり型、夜更かしのふくろう型、サードバード型に分かれ、それぞれ、起きてから6時間は脳が公平に判断でき、反応もスピーディで生産性が高いが、ランチの後からトラフと言う生産性の悪い状態になると言う説明を聞きました。
21時はわたしの脳はどういう状態だったのでしょうか?
それはさておき、わたしは通訳ですからね、やることは一つしかなくて、それが通訳です。専門性は細かく分類しようと思えば、たくさんあるわけで、いつでも自分の得意分野でできるわけではありません。また参加者の波動や場のエネルギーによっても変わります。
そこで、ある時から一生懸命全力を尽くすことを念頭に没頭することに決めました。すると、ある「愛」を受け取れるようになりました。「仲間の愛」とでもいうのでしょうか?「クライアントの愛」なのかもしれません。大変ありがたいことです。
「愛」が受け取れるってことは、わたしが通訳に全力を尽くすとは、「愛のある行為」なんですよね。宇宙はこうやって教えてくれるんですね。気を付けてないと見逃してしまいます。
実は同時に「愛の裏返し」も認識しています。でもそれは、止めもしないけど、特にロックオンしないことにしています。暗い方の感情の相手をしないことは、暗い考えを発信する人にとって、結局はいい結果になるのです。
愚痴や、わがままを聞いてあげるのも、ある期間はいいかもしれません。でも、どこかで誰かが「ここまでよ」と知らせないといけない。あるいは言わないといけない。
わたしは、長患いしていた人にお見舞いに行くと翌日や翌々日に亡くなることがよくあります。そういう経験から、どうやらわたしは「引導を渡す」星の下に生まれているようだと思いました。
その後、気学やら数秘でも、わたしの存在は、幕を下すものらしいのでした。偶然と言えば、偶然ですが、わたしはそういう「愛」の実行者だと思うと腹が座ります。
愛は、出し惜しみすると、幸せから遠ざかってしまうそうですよ。