こんにちは、Tengudoです。詩人、ダイバー、フィリピンスペシャリスト、の何とかなっちゃう話にようこそ。今日も斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージー令和編」にインスピレーションを得ました。
先日、修理してもらうためにバッグをルイヴィトンのお店に持ち込みました。接客してくれたのは大変美しい女子でした。女優か、モデルかと思うほどで一部の隙も無く見えて、ちょっと怖いくらいでした。まあ、そんなこともあるだろうと思っていましたので、グッチのバッグを持って行きました。
自覚があるなしにかかわらず、自分に足りないことってありますよね。そういう時にブランドの時計、バック、指輪で、「押し出す」オプションを持っているって安心ですね~。こんなことできるのも、生きているうちだけだと思うのでした。
民族薬理学、生薬学のドクターでDennis McKennaという方がいます。この方が、サイケデリック医療の効果をLondon Realの中で話している中で、「reality hallucination (現実という幻想)」という言葉を使っていました。
現実だと思っていることは、自分の思い込みで、そうではないことを教えてくれるのがサイケデリック医療だと話していました。人生で、あきらめる必要はないと知るために、アイオワスカの儀式(南米の幻覚剤を使った儀式。サイケデリック医療の一つ)をするのだと言っていました。
ドクター・マッケナの言葉で、自分は間違っていなかったと思えちゃいましたよ。今までもあきらめないでよかったし、これからも頑張る甲斐はあるし、アイオワスカはぜひ試してみたいな~。
わたしも悩みがいっぱいありました。それでも親子の縁とか、自分が日本人であることを変えようとしてもがいていました。でもね、現実は幻想だって、ドクター・マッケナがいってましたよ。すなわち自分が認識しているだけなのでした。
というわけで、生きることも死ぬことも楽しい経験だそうですよ。ただ、生きている方がブランドで見栄を切るとか、仲間と一緒に魂の修行をするとかできるようです。死んでいるときというか、こちら側に生きていないときの記憶、ありますか?たまに覚えている人がいますね。わたしも、思い出すときがあります。退屈だったみたいですよ。すべて認識している感覚は、わくわくはしないようです。こちら側に生まれようと思った時にワクワクしてました。
だからね、心配していることとか、生きづらいと思っていることがあったとしても、それは生きることをあきらめる理由ではないのです。
本当かどうかわからないと思いますね?現実は幻覚ですよ。あなたのその理性的に聞こえる考えだって、幻覚ですよ。幻覚ぐらい、ハチャメチャなの見なくちゃ、こちら側で生きる意味がないね。
アイオワスカは南米までいかないといけないですけどね、キネシで自分の前世を垣間見ることはありますよ。「ハイヤーセルフとつながる」ってそういうことだからね。やってみたいですか?お問い合わせください。