眼力さえあれば大丈夫

眼力がないまま社会へ出ていくと

人生は、悲惨なサスペンスドラマになる

こんにちは、Tengudoです。詩人、ダイバー、フィリピンスペシャリスト、の何とかなっちゃう話にようこそ。今日も斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージー令和編」にインスピレーションを得ました。

眼力。わたしは、母の没後、フィリピンに2度目の移住をします。その時に、「観光客がストレスを解消できるような仕事をフィリピンでしたかった」のですが、どういう社名で、どういう価格帯で、どういう人を対象にし、売り上げは月にいくらで、というようなビジネス計画が作れませんでした。理想だけでね。

今のわたしが振り返ってみると、わかるんです。わたしは、初回のフィリピン移住中のような、ファミリーがもう一度ほしかったんです。母の介護という理由ではありましたが、自分の都合で中断したファミリーでした。母の没後までの10年間、わたしだけでなく誰しも10年間分歳を取っていました。ボス・マンフレッドは心臓を患うようになり、その後アルツハイマーになりました。彼がいてのファミリーだったんでした。眼力、ですよ~。

その後、パートナーに出会い、生活の拠点を静岡県に移しました。わたしは経済学者ではありませんが、首都圏と静岡県はお金の持ち方、使い方が違います。結局、静岡県を理解することはやめましたよ。フィリピン人と結婚した非フィリピン人も同じだと思うんですけどね、フィリピンをわかろうとか、静岡県人をわかろうとか、無理ですよ。自分が結婚した相手が、フィリピン人だったり、静岡県人だったら、自分達が幸せに毎日生活できること、それが「自分の愛の形」で、それで十分だったんです。眼力、ですな~。

ちゃんと眼力を鍛えあげたといえるかどうか、今でも不明ですが、最近、また悩んでいたんですよ。仕事の対価の振込口座を地方銀行から都市銀行に戻したんですが、その口座に登録している送金先のリストを見たら、当然ながら「2回目のフィリピン移住の頃の自分」のダウンしていた頃が展開されていましてね、結局、悩みはなくならないようですね。

でも、体験がないと眼力が養われないってとこもありますからね。焦る、落ち込む、あるあるですよ。そこから立ち上がり、立ち去るために悩むというか、考えるのもあるあるですよ。ただ、ながなが悩んでちゃいけないですよ。わたしの場合は、外に出ないようにして、コロナにやっつけられちゃってる社会の不安をあおることばかりのニュースを聞いていると、自分の心にも恐怖が入り込んできます。

こういう時こそ、眼力は自分の味方ですね。キネシで筋反射テストをして、まいっている内臓を見つけることで心の舵取りになりますよ。

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