開き直るとは
閉じていた心を開いて
曲がった心をまっすぐ直すこと
こんにちは、Tengudoです。詩人、ダイバー、フィリピンスペシャリスト、の何とかなっちゃう話にようこそ。今日も斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージー令和編」にインスピレーションを得ました。
ロビー・ウィリアムは、ドイツのコンサートで、盛り上がって気分がよくなり、自分の祖母が言っていた歌を思い出し、ステージ上で歌ってしまったそうです。それは、ドイツでは御法度の、ある時代を称え、指す歌で、相当まずいことになった経験があるそうです。https://www.youtube.com/watch?v=BKyr3AkpFsM
わたしも若いころ、ドイツ人のボス・マンフレッドにチャーリー・チャップリンの映画、独裁者で見たポーズを思い出して、明るく「見て~」とやってしまったことがあります。あれはNATO高官の家柄であったマンフレッドには大変なことだったようで、またそれを見ていた、オランダ人、イギリス人はめちゃめちゃ受けていました。あの時の戸惑いを昨日のことのように覚えています。
さて、昨日はお仕事で、「決まったぞ」という達成感が今一つない日でした。そういう日はありますね。
自分の努力が足りなかったのか
誰かの努力が足りなかったのか
あるべきヘルプがなかったのか、足りなかったのか
そもそも、グダグダになるべくしてなったのか
誰かは自分の視点で導き出した答えを持っていますが、それはその場にいた人全員の答えは違います。だから、「わたし」の努力が足りなかったかなと思ってもいいけど、誰も、自分の人生、自分が主役なので、「あなたのせいだ」とは思ってない可能性があるわけですね。誰もそう思っていないなら、自分のせいだと思いこむのをやめても、誰にも迷惑は掛からないで、普通に時は流れていきます。
自分でも無駄に「完璧主義」だと気づいていました。洗濯物を干すとき、たたむとき、掃除するときにもそういう傾向があります。当然、仕事の場面でも、無駄に完璧を目指してしまう時があります。そういうところがありながら、髪の毛染めるときは端っこを丁寧に仕上げられないとか、料理のレシピ通りに作れないとかね。「ご都合完璧主義」で、実はアンバランスなわたしなのです。
周りを見渡すと、実際はそういうご都合完璧主義者ばっかりですね。一人さんによると、その場の雰囲気に便乗して、イヤなことを言ってしまったら、「オレだって人間だもん。間違いだってあるよ」と自分に言うといいそうです。それで、心のとんがりをなおして、閉じていた心を開く。まっすぐになった心で、愛のある自分に戻る。
オレだって人間だもん。ドイツ人にチャップリンの独裁者ポーズしちゃうことだってあるよ。