恥をかいていいんだよ。
こんにちは、Tengudoです。詩人、ダイバー、フィリピンスペシャリスト、の何とかなっちゃう話にようこそ。今日も斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージー令和編―」にインスピレーションを得ました。
寒くなりましたね。寒いければ、寒いなりの支度が必要ですが、今年は夏が暑過ぎましたので、冬の到来がありがたいです。オイルヒーターを出して使い始めました。電力ですが、空気が乾燥しないので楽です。
子供の頃、わたしは体が小さかったのでした。わたしが通っていた小学校の運動会でタイヤにロープを結び、体の小さな生徒が一人タイヤに乗り、体の大きな生徒達4人ぐらいが引っ張るリレー競技がありました。何度も練習したのに、本番ではわたしがタイヤに乗る前に走り出してしまい、タイヤの跡を追いかけたことがありました。母はそれを「恥」だと、その後何年も何度も繰り返していいました。わたし自身、大人になって長くなりましたので、いいますけどね。あの運動会のアクシデントは「恥」じゃなかった。
恥は、次に絶対しないようにしようと思うようなことですよね。最初に恥と思ったのは振られた時かな。初めて付き合った人とずっと一緒にいるリッキー・ジャヴァイスみたいな有名人もいますが、わたしは6ヶ月以上続いた関係は今のパートナーだけです。ハワイとかフィリピンでは、やたらとモテましたが、日本じゃ、ちっとも声がかからず、自分はモテるんだか、モテないんだかよくわからなかったのでした。思えば、人が普通に持つ自信の「軸」がなかったっていうんでしょうか。
しかし「恥」あります、あります。わたしは、天職と思ったダイビングの仕事ができなくなり、いきがかり上通訳翻訳をするようになりました。なので、通訳として上を目指すというか、本物になるための勉強を始めたのは40歳の手前からです。今でも通訳する経験の分だけ、翻訳する経験のぶんだけ英語は上手になるものだなと思っていますが、駆け出しの頃の仕事はお粗末なもんでした。
すごく時間をかけて仕上げるんですけどね、アートとか、物語とか人によって感じ方が変わるものの翻訳は難しいんですよ。また、ビシッと決まってないと書き直したくなる人が必ず出てきます。あの頃、クライアントさんときちんと打ち合わせしなかったんですね。もらった原稿を訳して納品していただけでした。結局、粗悪な出来上がりでしたよ。ただのお仕事でしたが、今思い出しても、恥ずかしいです。でも「恥」をかくたび、本気度が増しました。恥で成長するんで、恥を受け入れる度胸も必要ですね。
そういう恥を短い間にたくさん描かせてくれる人がいる状態を英才教育って言うんでしょうね。
わたしは鬼っ子、キワモノですから、たまにハマって尊敬する人に出会います。しかし、そういう人に守ってもらわなきゃいけない時は、結構問題も大きい時だったりしますよ。この恥は、凶と出るか吉と出るか。しかし、成長するためには吉経験も、凶経験も必要だからね。なんとかなりますよ?。