My Winter
Everyday different
Citrus I eat
厄年は飛躍の年。
ひとりさんの一日一語 (令和編)
冬は文旦がおいしい時期ですね。わたしは生の文旦を食べるのが好きです。しかし、歳時記を見ると文旦は秋の季語です。何百年の単位で見て、季節は少しずつ遅くなっているのでしょうか。ただ、ミカンは冬の季語です。静岡は柑橘類の産地で、文旦、デコポン、ネーブル、三ケ日ミカンなど色々楽しめます。この時期、寒い、早く春にならないかなと言いながら、毎日違う柑橘類を食べていられるわたしは幸せモノです。
長年鼠径部にあった粉瘤が突然化膿しました。痛いのなんのって、びっくりです。そして今朝噴火しました。膿が出ましたって意味です。そして身体から「ああ、やっちゃった…」と言うあきらめ感が伝わってきます。しかし、粉瘤自体は、いくつかの粉瘤が、合体した状態のようで、まだ次の粉瘤の化膿が進んでいるようです。痛いです。しかし、安心して痛がっています。
毎日コロナの感染報告がニュースで流れるこの時期、医療機関に行くのも遠慮しますね。ただ、化膿して熱を持って腫れているときは、病院に行っても「腫れが治まるまで何にもできない」って言われるのですよ。だから、最初のびっくりが過ぎて、落ち着いて考えられるようになったら、病院に行っても仕方ないと思えました。
最初はびっくりするんですよね。自分の身体を大切にしている、悪いことは何もしていないと思っていたので、突然の化膿に、「何が悪かったのか???」と思ってしまいました。でも、大抵、そういう問題ではないんですよね。自分の心もコロコロ変わるし、身体は身体の都合で代謝してるんだから。おそらく最近の栄養状態とか、運動量とか、冷えてるとか、改善しているとかの都合で、複数の粉瘤を合体して、一気に膿を排出してきれいにしよう!とやってるんでしょうね。
自分が思った通りにならない時は、自分が思った通りにしちゃいけない時なんでしょうね。例えば、産中産後、病中病後で、環境が変わって、仕事や、学校や、介護など家庭のストレスで、更年期、いろんな理由で体を休める時期だとか、今まで見ないふりをしていたけど、もうそれでは通用しないとか。そういう時は、口では明るくなる言葉を「ついてる、ついてる~」とか言って、あとは身体の言う通りにするしかない感じがします。
ただ、わたしも19の厄年の時はひどい目にあったと思いました。でも、意外とすぐにわかりました。子供の身体が大人の身体に変わって、でも大人の考え方がまだできない時に、厄年と言って年長者が若い世代を助けようとしたんでしょうね。それが、何世代も過ぎるうちに、厄年だから、お参りしようとか、お守り持とうとか、別の意味を持つようになってしまったのではないかと思いますよ。それを斎藤一人さんが飛躍の躍年と言い換えてくれました。本来の目的に戻してくれるように思えます。
頭に天国言葉。心に感謝。体に栄養。顔につやを出して、無明の世界に生きている人の光になろうとすると、体が動いて脳が正常に動かないとね、助ける側になれないからね。