認知症の初期には、物忘れが目立っていても、判断力や理解力などは低下していなかったり、同じ事をしても出来る時と出来ない時が繰り返し起きたりします。それを「まだらボケ」と言うのだと言われました。その頃の介護が一番つらかったと思います。攻撃的になったときや、つじつまの合わない話をしているときは、「これからだって、あんたなんか、母とも思わずセブに行くぞ」と思うし、正気の時は、母がかわいそうで心が裂かれるような思いました。自分自身の極端な感情に振りまわされて、疲れたのでした。
自分自身の生活の変化もありました。セブでビーチ暮らしをしていたわたしが、突然、都心の銀行に勤めることになりました。元々は格式があった日本の銀行で、破たんしてハゲタカファンドに買われて、外資となった会社でした。「外資になったら、いろいろな人種が銀行に入ってきた」そうで、わたしもその一人でした。卑近な悩みでは、着ていく服が足りませんでした。仕事帰りにユニクロで服を買って、翌日着ていく日々ようなでした。当時は通訳・翻訳の仕事が山ほどあり、残業は終わらないし、東京郊外の立川に帰ってきたら、ユニクロの閉店時間を過ぎていたり、そもそも霞が関への通勤が大変でした。
- 銀行時代、身をもって学んだことは、何があっても「自分が誰か」を忘れたり、手離してはいけないということです。
What I learnt most during my time in the bank was that I must never forget “who I am” or let it slip away, no matter what.
その銀行には派遣スタッフ・正社員通して11年間勤めました。母は若年性痴呆で、当初「20年、30年生きますよ。」と説明されていました。ずいぶんむきになって仕事をしてしまいましたので、わたし自身、いろいろな病気で、検査、再検査、治療を繰り返し、医療費も時間も心の平安も無駄にしてしまいました。犠牲になったような気でいましたが、広い世の中、賢人は「ガンはガンコな人がかかる」とか、「癌は美味しい品々を山のように食べた人がかかる病」と言っておられるようです(苦笑)。
タイトル“Dark Time and Spiritual Awakening”は「暗い(すなわちつらい)時代と、スピリチュアルへの目覚め」です。
- 銀行時代、身をもって学んだことは、何があっても「自分が誰か」を忘れたり、手離してはいけないということです。
What I learnt most during my time in the bank was that I must never forget “who I am” or let it slip away, no matter what.
~時代は“when in ~”(学校とか、会社とか、住んでいた国の名前など)、“during my tenure in ~”(~社在職中)、“during my career in ~”(専門性のある仕事に就いていた時のニュアンス)、“during my time in ~”(~の頃とさらりと表現)のように使い分けることができます。
他に気を取られて、いつの間にか失っていた何かを表すとき“I let (名詞)slip away”と、表現すると切ない感じがひとしおです。