A社商談での現実体験

Date

その日の通訳は、ドメイン外だった。テーマは A社と設計ツールの導入商談。 しかし設計の知識も、CADの実務経験もゼロ。 しかし、商談成立までたどり着けた。 繰り返し自分に言い聞かせていたのは、3つの「言霊」だった。

部屋に入った瞬間、気が読めなかった。長い会議テーブルの両端には、日本のエンジニアと海外の営業チーム。設計ツールの画面が映し出されている。

わたしはその場にいたけれど――設計の経験も、CADの知識もゼロ。

「どうしよう、専門用語だらけだ…」
心臓が早鐘を打つ。眉間にしわが寄る。

そのとき、自分に言い聞かせた。

I am the best chance they’ve all got.
Don’t buckle.
Keep doing.


「現実」の壁

プレゼンが始まると、聞き慣れない言葉が矢継ぎ早に飛んでくる。
“parametric modeling”“workflow optimization”…
頭の中で「?」が連続する。

わたしは、声を失いかけた。でも、目の前の日本側の担当者がこちらを見ている。
わたしの訳出を待つ視線は、いつもと同じ「それで?何と言ったの?」。

I am the best chance they’ve all got.
Don’t buckle.
Keep doing.

深呼吸して、文脈から意味をつかみ、シンプルな言葉に置き換えて伝えた。


言葉よりも「温度」

会議中盤、日本側の担当者が静かに言った。「検討をお願いします。」

直訳しかできず Please review this request and make a proposal. 

少し間を置いて、日本側のエンジニアが笑顔で言った。「マスターアグリーメント、ローカルアグリーメントがあるのはわかっていますが、詳細を詰める必要があるので。」

その訳出を聞いて海外チームの顔がふっと明るくなる。その瞬間わかった。
大事なのは関係を前に進める「温度」を正しく保つ。そのためのファクターXは存在する。そしてそれはわたしのような立場の人だけが届けられる。


止める勇気

議論が進むにつれ、略語も知らない言葉も乱れ飛んだ。
BOM、RFI…。
意味が食い違い始めたか、確認が入る。誰もが丁寧にひとつづつ確認して会議が進む。

わたしはプレッシャーを感じて、「どなたか質問ありませんか」と発言してしまった。

 でも「No, we are fine so far」と返事があって、その後も、会議は中断前と同じペースで進み始めた。 あれは「止める勇気」だったのか?自分の正直な行動が場を救うこともある――初めて知った。


背中を押す言葉

何度も不安に押し潰されそうになった。「設計を知らない自分が、ここにいていいのだろうか。」

でも、そのたびに繰り返した。

I am the best chance they’ve all got.
Don’t buckle.
Keep doing.


商談成立、そして学び

数週間後、商談は成立した。それは成立するべくして成立した商談だったが、必要な要件は盛り込まれて双方ベストな形となった。わたしはどうやら、全員が安心して話せる場を支えたようだった。

あの日の経験が教えてくれたのは、通訳とは「言葉を変換する仕事」以上に、 会議の場に安心をつくる仕事だということ。

今でもわたしは、初めての通訳現場で心に刻んだ言葉を繰り返している。

I am the best chance they’ve all got.
Don’t buckle.
Keep doing.

More
articles

優秀な通訳、溝をつないで次のステージへ

優秀な通訳チームはどこにいる?

P社というフィンテック企業で働いていた頃のことを、しばしば思い出します。 数ある通訳の現場の中でも、あの時期が特別だったのは、「優秀なチーム」を全員が作っていたからです。では、どうやって?

それでも逐次通訳が大切な理由

最近の通訳界にもAIの技術が押し寄せてきています。AI字幕、瞬間翻訳ガジェット。
そんな中でも、「逐次通訳」はまだ現場で求められていて、その理由を日々感じます。発注側が設計側に説明するとき、通訳者の訳し方と、その回答を確認しながら話を進めたいようなのです。会議の効率化のため、同時通訳を提案したいときもありますが、逐次通訳を続けている理由も、事情もあります。

A社商談での現実体験

その日の通訳は、ドメイン外だった。テーマは A社と設計ツールの導入商談。 しかし設計の知識も、CADの実務経験もゼロ。
しかし、商談成立までたどり着けた。
繰り返し自分に言い聞かせていたのは、3つの「言霊」だった。