London calling by The Clash

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クラッシュは1977年にデビューしたパンクグループで、わたしが音楽を聴くようになったころにはすでに人気絶頂。解散がささやかれていたか、解散した後だったと思います。

わたしが育った東京都国立市には一橋大学があり、一橋祭の頃には都会の雰囲気をまとった素敵な大人達が訪れていました。普段静かな学園都市を華やかな街にしてくれました。その頃、髪の毛をつんつんに立て鋲の着いた黒の革ジャンの下に、Tシャツを着た人達、アイラインをぐるりと目の周りに描いた人達はパンクミュージックのファンでした。

コンサートに行っても、どうしてもパンクになり切れない自分ではありましたが、パンクはやっぱり格好良かった。若い人達が政治や生活に対する不満や不安を音楽やファッションで表す。とんがったおにいさんやお姉さんは、まだ吹っ切れていないわたしを快く仲間に入れてくれました。

2000年のイギリス映画Billy Elliot(邦題リトルダンサー)の中で80年代のサッチャー政権で炭鉱で働く人々のストライキで、労働者と警察がぶつかるシーンがあり、この曲が使われていました。

この曲は1979年3月に起きたアメリカスリーマイル島のリアクターのメルトダウン事故にインスパイアされたもので、大西洋を挟んで反対側のイギリスの人達が被曝を心配していたこともうかがわれます。

スリーマイル島はメルトダウンを起こしその後チャイナシンドロームという映画の題材となりました。ここでは新しいニュークリアテクノロジーが無料の燃料、空を飛ぶ車、砂漠に街を作るなど、核の平和的使用の夢を粉砕し、政府や運営会社が真実を報告しないこともメディアで取り上げられたこともあったようです。スリーマイル島事故から30年後、皆が大好きなオバマ大統領が原子炉を建設することを宣言しました。そこへ2011年の福島の事故が起きました。福島の事故はアメリカのテクノロジーで災害規模としてはスリーマイル島の3乗だそうです。

奇しくも、The ClashのLondon Callingのお蔭で、30年も経てば人は「のど元過ぎれば熱さ忘れ」、どんなにひどいことが起きて、どれだけ人々が怒ったとしても30年も経てば、また再開できるということを見せつけられたようです。だから、怒ったり、ふざけるな!と思うこと自体は悪いことではないですね。必要で、正当な感情です。

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