Silly Love Songs by Paul McCartney and Wings

Date

Throwback Thursday

今までニュースなどで、日本は自殺者が多いと聞いていましたが、ここにきて急に、誰それさんの娘さんの同級生とか、誰それさんのご主人、誰それさんの娘さんとか、自殺者や残された人が自分の身近にたくさんいることに気付きました。トラウマ体験をした人が、その後の過程で家族と共依存の関係になって行くという仕組みがベースにある中で、家族のだれかが自殺するトラウマを何人の人が体験するのでしょうか。

HSKキネシオロジーのディープセミナーをカルフォルニアで受講すると、本間先生の治療を受ける機会があります。その際、潜在意識の中に残っていた自分のトラウマ体験が、顕在意識に上がってくる体験をします。わたしも例外ではなく、子供の時にその場を乗り切るために感じないようにしていた感情、フリーズしていた恐怖感は30年以上40年近く経っても体の中に残っていて、大人のわたしとして、再体験しました。

その時にすがるように聞いていたのが、この曲でした。このシンプルでダイレクトな愛の曲を書いた人は、愛を体験していたのだなと通じるから。そしてそのおかげで、わたしもトラウマ再体験中に愛を感じられたからです。

ポール・マッカートニーはご存知の人も多いと思いますが、ビートルズのメンバーでした。その後ポール・マッカートニー&ウイングスというバンドで活躍します。この頃彼はアメリカ人フォトジャーナリスト・リンダと結婚していて、ご本人に近い人のインタビューで伝えられることによると、彼にとって、リンダ以上の人は現れなかった、生涯最愛の妻であったそうです。1998年にリンダは乳がんで亡くなります。残念なことでした。

その後ポールはヘザー・ミルズと再婚しましたが、わたしがBBCで離婚までの泥沼の報道を見たときには「どうせ別れるならお金をたくさん取ってやるわ」という波動を飛ばしまくる女が動画でインタビューに答えていました。わたしは当事者ではありませんが、リンダを亡くしたポールの後妻に入るときに、彼女が「1番にはなれないんだな、でも亡くなった人と競争しても意味はないから、皆で一緒に幸せになろう」と選べたらよかったのに、と思いました。

この曲は、ヘザー・ミルズのあのインタビュー動画をきっかけに「わたしはどんなときにも愛を選ぶ」決心を思い出させてくれるものとなりました。

More
articles

Work, Walk, Law, Low——わたし達の一音

発音の正確さは、通訳・翻訳の「見えない信頼」を支える技術です。AIのパイオニア、Babak Hodjat 氏のもとで働く世界トップクラスのエンジニアたちは、文脈や異なる言語体系(!)で互いを理解しています。わたしたちは通訳。一音の精度を上げ誤解を生まないよう、日々訓練を重ねています。

空のように、私のノートの取り方もかたちを変えていく。それでいいのです。

逐次通訳のためのノートテイキング

逐次通訳では、ノートテイキングが訳出を左右します。 端的に言って手元に文字起こしとか、原稿に近いものがあれば、それを読めば正確に訳出できるのです。一つひとつの言葉、数字、そしてニュアンスを話すスピードに合わせて書き留めるのは、匠の技です。今日は速記と抽象画のあいだのような芸術の話をしようと思います。

優秀な通訳、溝をつないで次のステージへ

優秀な通訳チームはどこにいる?

P社というフィンテック企業で働いていた頃のことを、しばしば思い出します。 数ある通訳の現場の中でも、あの時期が特別だったのは、「優秀なチーム」を全員が作っていたからです。では、どうやって?