TBT First day in Cebu

今日もTBTの日にアップロードできる昔の写真はありません。でも今日も、初めてフィリピンに到着したときの印象を話たいと思います。

フィリピン航空に乗ってオーラの汚いオジサンと隣り合わせで、やっと飛行機が到着して解放されたと思ったら、想像と全く違うターミナルに到着しました。イミグレーションを通過したときの記憶は余りなくて、バケージクレームの所で「うわ!すごい所に来た!」と思いました。

ターンテーブルがやたらと喧しく音を起てます。あれは電気で動いているんではなくて、ギアが付いた機械が後ろに有って人が手で回しているんじゃないかという様なひどい音がしました。エアコンは利いていなくて、ムっとした南国の空気がその場を満たしています。そこは部屋ではなくて、日本では小学校や中学校等の校庭の周りに有る様な菱型の形に編まれた鉄の金網に囲まれた場所でした。

そこに眼光の鋭い、あまり身なりがきれいに見えない人たちが何人もしがみ付いています。その様子がとても異様でした。到着客を待っている様には見えなかったからです。

働くことになっていたダイブショップのマネージャーが迎えに来てくれていました。わたしの名前を呼ぶ人がいたのでそちらを見ると、明らかに一人、というか連れの人と合わせて二人、明らかに日本人がいました。荷物を受け取って合流したときに「あ~、日本人の人が来てくれた!」と思いました、と言ったら本人たちは笑って「フィリピン人になったみたいだって言われるんだけど日本人に見えましたか?」と言われました。

フィリピン航空は今でもセブに夕方から夜にかけて着きます。暗い中、わたしが泊めてもらうことになっていた、そのマネージャーの家の一室に行く道中、街頭は無いし、道路はデコボコだし、街に出るまで道路には牛が寝ているし…。なんというか自分が育った日本や、それまで通っていたハワイに漂うのとは、全く違う地のエネルギーに「これは腰を据えてないと足元すくわれるぞ!」と言うような気持にさせられたことをよく覚えています。

その時の所持金は200ドル。トラベラーズチェックでした。フィリピンに詳しい人ならトラベラーズチェックがあまり役に立たないことをよくご存じでしょうか。その当時、わたしはフィリピンのことは何も知らなかった。そしてそのまま、続けて7年暮らしました。若いって素晴らしいです。

share this recipe:
Facebook
Twitter
Pinterest

Still hungry? Here’s more