どんなにたいへんなことがあっても

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明日には日が昇る

それが神の愛

こんにちは、Tengudoです。詩人、ダイバー、フィリピンスペシャリスト、の何とかなっちゃう話にようこそ。今日も斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージー令和編」にインスピレーションを得ました。

今朝、シャワーを浴びた後、思いだしたことがあります。以前聞いた一人さんのお話に、自分の人生に不要なことは、一つも起きないと信念を持った人のお話でした。何とかさんが馬で崖のそばを歩いていたら、後ろから馬でついてきたお弟子さんが、「そんな端っこにいて、崖から落ちたらどうするんですか、危ないですよ」と言ったら、その人は「何で?」と聞き返したんだそうです。自分の人生に必要なことしか起きない。その絶対の信念があれば、起きないかもしれないことを心配する必要はない。落ちたら、そういう運命だったと受け入れて死ぬんだよと言うお話でした。

コロナの感染もそうかなと思っていました。

今までも、自分の人生で、これがなくなったら生きる価値があるんだろうかと思ったことがありました。肉親である存在と別れ、クラスメートとの別れ、ペットとの別れ、彼氏との別れ、フィリピンから帰国したときのフィリピンの人達との別れ。

どんなに大変なことであっても、わたしは結局おなかがすいてご飯を食べてしまうし、おなかがいっぱいになると自殺する気もなくなるし、どんなに泣いて疲れても寝てしまって起きると朝だったりしました。何があっても、なくなっても、次の日が来ました。そして、つらいことも少しずつ少しずつ何年かかけてだんだんと忘れていきました。

次の日をくれる、それが神さまの愛なんだって。

そうだった、本当のお父さんとお母さんは祖神様なんでした。両親となった人たちは、

自分が生まれてくる時、わたしが体をもらうために必要な役目をしてくれた人達なんでした。だから、あんまり過度の期待をしては筋違いな相手だったんでした。

体験するために生まれてきたんですから、ある程度は、びくびくも、くよくよもありますね。それが数日続いちゃうこともありますよ。大きな問題で、一日でキネシで調整しきれないってときもあります。ふらのタオルで収まらないってこともあります。

でも、あしたはまた日が昇るよ。なんとかなるよ。

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母国語以外で話をしていると、必ず「うまく置き換わらない表現」に出会います。
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介護帰国から始まったわたしの通訳ジャーニー

セブ島でスキューバダイビングショップの店長だったわたし。その時は、のちに日本に帰国することになるとは思いませんでした。さらにキャリア転換をして、英語通訳になるなんて夢にも思っていませんでした。きっかけは、アブサヤフのシパ