君ならできるって

君ならできるって信じてあげれば子どもは勝手に伸びていくんだよ

今日も、斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六五のメッセージ」を題材にします。

マクタン島で仕事をしているときに、なぜ日本はいい国なのにフィリピンに来たのかと聞かれました。何度も聞かれたし、その都度自分が何を言ったか正確な言葉は忘れましたが、母がわたしの夢に水をかけるので、母の話を聞くのをやめたのだと言ったことがありました。その時、話していたのは某優良国際線で世界を飛び回るオーストラリア人の機長さんで、「母親はどこでもそんなものだ」と言いました。

日本人は、お母さんは素敵なもの、いいものという幻想を生きる人種だった、オーストラリアでは子供の夢に水をかけるのが母親だとは、既知の事実だったのだ、という「常識」を垣間見た一瞬でした。

2000年代にものすごく流行ったアメリカのテレビドラマにThe Spranosがあります。プロットは、母親と問題を抱えた暴力団のボスでした。第1話を見たときに、イタリア系アメリカ人もお母さんは素敵なもの、良いものという幻想を生きる人種だった、それではイタリアのイタリア人も幻想を見てるぞと思いました。

自分も含めて子供がない人、独身、夫婦にかかわらず、見ていると、わたしなりに感じる印象があります。自分自身に封じた何か、あるいは許せなかった誰か。

君ならできるって言ってもらいたかったのかな。

今、An Economist Walks into a Brothel: And Other Unexpected Places to Understand Riskという朗読本を聞いています。

ハワイのノースショアでコーストガードがヤマハのジェットスキーを使うようになったら、初心者のサーファーがもっと沖へ出て、練習するようになったそうです。上級者の世界記録更新も飛躍的に伸びたそうです。人はリスクが保障されると、リスクを取りに行くという説明でした。

わたしは、信じてるよって、言われたら、10代のあの晩のように怒って家を飛び出すようなことはしなかったでしょう。隠れて、20代でフィリピン移住を計画して、足にすがる母を蹴り上げて、おさらばよと出ていくようなことにもならなかったでしょう。

そういう経験があっても、今、家族や職場の中で、信じてるよと言えないときがあります。修行は続きますね。だから、まずは「信じてるよ」だけでいいから、言葉にして言うのが、きっと修行ですね。

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