嫌いな人に会って不機嫌になるなら

会わないで「上気元」でいたほうがいい。

こんにちは、Tengudoです。詩人、ダイバー、フィリピンスペシャリスト、の何とかなっちゃう話にようこそ。今日も斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージ」にインスピレーションを得ました。

わたしのパートナーは、仕事も一段落して、お腹もいっぱい、さて次何しようかな、みたいなリラックスした気持ちになると「正月になっちゃったみたいだな」と言います。12月に限らず年中言うので面白い癖だと思っています。彼の育った家庭では正月は特別だったんでしょうね。

わたしはわたしで、正月はそんなに楽しかった記憶がありません。これを手伝いなさい、あれを手伝いなさいと言われて、黒豆煮たり、栗きんとんを作る母親の大騒ぎにつきあわさせられました。黒豆は美味しいと思わなかったし、栗きんとんは、栗だけ食べたかった。今はね、黒豆も好きだし、栗きんとんもきんとんの正体がサツマイモだと分かってから食べられるようになりました。またパートナーにいつまで健康でいてもらいたくて、自分でも料理に時間をかけて、味に気をつけるようになってから、あの母のおせち騒ぎも理解できるところがあるとも思えるようになりました。

さて、わたし達は事実婚ですが、一緒に暮らすことになった時はすでにいい歳でした。家族や親戚が心配しないようにと挨拶回りなどしたので、結婚したのと同じような扱いをする親戚も何人かいました。それが嬉しい時もありましたが、素早くそれがめんどくさくなっちゃったんですね。ある親戚を家に招待してお料理作ってお出ししたら、わたしの前では美味しいと言ってくれたのに、その足で別の親戚のところへ行って「まずいもの食わされた」と言ったんだって。それをまた電話かけて教えてくれる人がいたんですよ。

そう言う「各大家族ゲームは、やりません」と言わなかったんですが、早々「わたしたち結婚してないので」と、一回お付き合いをお断りしたら、ほぼ全部の親類のお付き合いがなくなりました。ひとりさんの、「会わないで上気元」が頭の中にあったし、パートナーを間に挟んで喧嘩したくなかった故の決断で、わたし的には大変スッキリしました。一方、彼は彼なりの思いはあったようです。タイミングでこう言う話を経験者にすると、家族構成によって、ありがちな行動パターンだっただけで、悪意があったわけではないそうですよ。ふ?ん、そうなんだと思いました。

子供が何人かいて、美しくて、幸せな家庭を支えている感じの奥さんもあっちこっちでお見かけします。わたしが持たないもので幸せを作り上げた人の圧倒的な清々しさに敬意を感じます。わたしはね、どう考えても今世はこの生き方しかできなかったなあと思いますよ。そして、結構悪くないなと思っています。数年前までは自分の子供が欲しかったんですけどね、誰かに孫と呼ばれる存在を産み出したかった。しかし世の中、「愛」は親子とか夫婦の間だけじゃないですね。だから、ある人に愛を注いで、生き様とか、死生観が変わったら、母じゃなくても、妻じゃなくても、わたしが幸せをもらったな?って思ったりします。

会っても会わなくても、いるからね。今日も「上気元」ですよ。

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