親父のありがたみは

死んでからじゃないと

わからないと聞いたけど

オレは出来が悪かったから

何十年かしてやっとわかった

父さん、ありがとう

こんにちは、Tengudoです。詩人、ダイバー、フィリピンスペシャリスト、の何とかなっちゃう話にようこそ。今日も斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージー令和編」にインスピレーションを得ました。

父親。その前に、夫になり、その前にパートナーになり、その前に男子として生まれる。

ここまでくる過程で、男子は年を取るのが遅いなと思ったことが何度もありました。自分は35歳になって、身体の衰えを感じました。おなかの一番出ているところと、お尻の一番出ているところがそれぞれ変わったのです。わたしはダイビングのインストラクターとしてウエットスーツやドライスーツを着てきました。プレッシャーのかかる場所が変わるんですね。腿の裏側にセルライトが出るようになったのもその頃です。そういう身体の頂点を超えた感覚、男子は45歳まで感じないらしいじゃないですか。

わたしには父親代わりのマンフレッド・ランガーという存在がいました。フィリピンのセブでダイブショップを経営していた人です。今は、カレ・イップが継いでコンティキ・ダイバーズ、サベドラを運営しています。が、この話はまた別の機会にしましょう。

以下、若干18禁の文章ですが、マンフレッドは、子供ができないようにパイプカットをしていて、これでコンドームを使わなくてもやりたい放題といっていました。しかし、わたしと出会ったときにはやりたい放題しまくる時期は過ぎていて、「父性本能が自分にもあって、君にも父親のような気持ちで見てしまう。自分の本当の子供がいたら、大変なことになっていただろう。パイプカットしていてよかった」と言っていました。

そんなことを言ったんですよ。マンフレッドは若年性痴呆でモアルボアルの家で亡くなりました。その後、あの世に行く前に静岡のわたしのところに立ち寄ってくれました。「もう自分は死んだから、これからはパートナーに頼るんだよ。なかなかいい男じゃないか。」

ありがとう、マンフレッド。

そしたら、本当の血のつながった親父が出てきました。43年ぶりです。えっ、うれしいのかな?と思ったけど、なんかね、余計な存在なんですよ。いないものとして生きてきたんでね。受け入れる場所がないです。理性的にも、感情的にも。

最終的に、ありがとうって言える日は来るらしいですよ。一人さんがそう詩っているので、それまで焦らなくていいみたい。戸惑いも、味わったらしみじみ感じるものがあるのかもしれません。

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