今までの人生を振り返って何だったんだと思うことってあると思います。友人を見ていると、自分もまたそういう時期なのかなと思います。
今、幸せですが、この状態が変わったら怖くなると思います。
でもね、この「この状態が変わったら怖くなる」が曲者なんですよねー、きっと。
友人:実は怖いんだ。
わたし:何で?
友人:事業の借金があるし、子供もまだ小さい
わたし:頑張ってるし、冷静に状況を見られてるんだから大丈夫だよ。それに困ったら言ってよ。何かできるかもしれないし。
友人は友人ですから、賛成できないことを切り離して見ないようにすることは、難しくないです。家族のように受け入れられないことで喧嘩する必要がありません。そういう人に、大丈夫だよと言える。困ったら知らせてと言える。
あれれ??何で自分には同じセリフが言えないのかな?
先日、別の通訳さんの仕事が聞こえるところにいて、仕事の内容が聞こえてしまったことがありました。英語の指示を通訳するタイミングで、自分が拾って「それはできません」と回答していたように聞こえました。英語の声が「意見は聞いていない、やりなさいと言ったのだ」と言って、通訳さんが「OK(そんなに大きな声出さないでよ的な言い方)」と返事して、電話が切れて会議が終わりました。
こういう間違いもよくありませんか?自分のことではないのに、自分のことのように拾って、結局、物事を面倒臭くしてしまう。
神様も、上司も、お客様も、友達も、パートナー、それから自分とも、わたしは対話しています。その対話はわたしの場合は時に独りよがりです。認めます。時に、自分の出番じゃないところで変に出しゃばってしまうときもあります。それは味方したい人がいるからだったりするからですが、状況判断を間違う時もあります。
「天国のゲート」は2人でくぐるものらしいです。であれば、「幸せ」は1人で到達する境地ではないですよね。
その進路を外れないようにするために「今、幸せだが、この状態が?」という自分への対話は「今、すでに幸せ」とちょっと変えますー。