ご飯がおいしいと、一日楽しい。得した、得した。
今日も「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージ」にインスピレーションを得ています。
自分が幸福だとか、ついてると思えないときがあります。老後2000万円問題とか、台風15号とか、サウジアラビアのドローン攻撃とか、気持ちが暗くなるようなことを毎日毎日毎日聞いているとそうなってしまうのかなあと思うこともあります。
そういうことがなくても、家の中や、職場や、もしかしたら学校に行く人は学校で文句を言いたくなるような設定が出来上がっているのかもしれません。
それとも、自分の性格で、またやっちゃった~と思うようなことがあるのかもしれません。先般、2泊3日で東京に行ってきましたが、自分は戸締りをした記憶がないんです。いつもそうなんです。行き先が、東京でも、インドネシアでも、タイでも、いつも出がけにバタバタして戸締りをした記憶がなくて、旅行中ずーっと泥棒に入られていたらどうしようとか、くよくよするんです。自分を信用してないし、許せてないんですね。
でも自分が幸福だって思えない時でも、実は幸福なんですよ、わたし達。
1回目のフィリピン移住から戻ってきた後、銀行に就職したときに思ったことがあります。明らかに霞が関の銀行員の方が学歴も生活レベルも高く収入も安定していて、眼鏡のフレームがポールスミスだったり、ひざ掛けとかにカシミヤなんて高価なものを使っているのに、フィリピン人よりうつ病が多いって言うのは絶対的におかしい。銀行員という人種は自分の幸せに感謝せずに、もっともっとと思うからうつ病になるのだと思ったことがあるからでした。
その後、わたしもだんだん、感謝より、もっともっとと思うようになりました。いつのまにか亡者になって、別の亡者と競い合ってもっともっとの心の泥沼にはまっていました。
それを止めて心の泥沼から出ると、波動が上がるって可笑しいですよね。もとに戻るだけですけど、そういう修行をすると波動が上がっちゃうんですよね。だから、やっぱり泥沼から上がって、波動上げるラッキーな修行を実行しませんか。
まずは、お米に感謝する。自分が植えてもいないし、肥料もやってないし、草取りもしてないし、収穫もしてないし、脱穀も、精米もしていないけど、ごはんが食べられてしかも、安全でおいしい。