家族や友達と一緒なんだよ。
今日も斎藤一人さんの一日一語 斎藤一人三六六のメッセージにインスピレーションを得ました。
最近、ぎっくり腰が癖になっていました。今回は家庭菜園の目的で借りた畑に行く日に、掃除機をかけていてぎっくり腰になりました。自分のやりたいことを自分の体がストップするこのパターンに嫌気がさしたので、ぎっくり腰になっていないことにして、畑に行ってみました。結果、あまりの腰の痛さに耳が聞こえなくなるほどでした。
わたしのパートナーは、大丈夫かと言いながら、わたしのやりたいようにやらせてくれました。明らかにわたしは「自分が蒔いた種」で苦しんでいますが、彼が100%わたしの味方でいてくれたことに、感謝しています。とてもありがたいことです。
立っても座っても階段を上ってもトイレに行っても腰が痛いのですが、笑っても痛いです。わたしがのろのろ歩いていることを気遣ってくれる「他人」は、そうそういません。コンビニのレジに並んでも、わたしの前に横入りする人ばかりです。
わたしがどれだけ痛がっていても、相手は元気な時を前提にしている人ばかりです。自分が生活の中で出会う人の中にも、確実に仲良しレベルがあり、そのレベルに期待する距離感があるのですね。
お金も、家族も、友達も大事にするから集まる。
で、わたしの今日の気づきは、「わたしは自分の気持ちを理解してあげないで、間違った扱い方をしたので、今日痛い。」だから、自分が不特定多数の「相手」に今日期待してしまっていることは、自分でもできなかったことなので、期待を一切止めます。
自分の気持ちを理解していなかった。大切にしていなかった。ごめんね、自分。
そうは言っても自分の気持ちが自分で理解できない時もあります。これは自分だから荒療治も納得して実行しましたが、他人にはできませんね。
カフェキネシで紐解いたら、キネシアロマのメッセージは「あなたのなくしたものは何ですか」でした。
子供のようなわくわく感をなくしていました。わくわく感のない家庭菜園ですよ。本当は自分が綿を育てたいだけの話なんですけどね。