わがままって“愛が出放題”ってこと

エゴとは違うんだよ。

こんにちは、Tengudoです。詩人、ダイバー、フィリピンスペシャリスト、の何とかなっちゃう話にようこそ。今日も斎藤一人さんの「一日一語 斎藤一人三六六のメッセージー令和編―」にインスピレーションを得ました。

HSKキネシオロジーのセミナーで渡米していたときの事。トラウマの治療を受けました。しかし、即座に「解消しました。よかったね」とはならなかったのでした。「気の狂った母親」とつい言ってしまうのですが、おそらく境界性人格障害であった母に育てられましたので、当時わたしの人格がすで境界性人格障害の様相を呈していました。トラウマだけ自覚してもね。。。。。。。

Tengudoの変な話ですが、トラウマ治療の直後から、そうですね、1年間は確実に不成仏霊に取り憑かれ結構つらい時を過ごしました。その時、キネシの先輩が「ひとりさんの霊の落とし方」を紹介してくれました。「霊が取り憑いても、幸せにしているんだよ。自分が美味しいもの食べたり楽しそうにしてると、そのうち離れるから」というお話でした。

治療の後、自分が落ち着くところを見つけて落ち着くプロセスが必要だったのでした。わたしの場合は何年も、実は最近までかかりました。しかし、今でも終わったってわけではありません。その逆で、今世だけでは終わらないんだなって気がついた!

ただ、非常に不安定で、正直にしかなれないわたしに、印象的な話をしてくれた人々がいました。日本に奥さんがいて、フィリピンのモアルボアルで、フィリピン人の女性と夫婦のような生活をしていた日本人男性にも会いました。日本の奥さんの方が「もう愛情はないが、別れない」と言ったそうです。「もう歳だから一人になっても生活していかれない」と言うので、「わかった、別れない、生活費も出す、家にも住んでいていい、でも自分は散々働いてきたし、引退後だからフィリピンで暮らす」と話したそうです。奥さんは多分別の女性がいることも知っているだろうが、詳しくは話していないそうです。どちらの女性にも自分の迷いや悩みは言わないのだそうです。全部正直に言うとはいつもいいことではなく、自分の悩みを共有させて相手に責任を押し付けることになる場合もあると言っていました。

もう名前も覚えていません。この男性は「わがまま」でした。まだ、フィリピンにいるのかなあ。日本に帰ったかなあ。このコロナ禍で、何をしているのでしょうか?わがままにしていてもらいたいものです。

きっと神様もそう思っていますね。わたし達も、わがままに生きるべきです。わたしはわたしの話しかできませんが、あの母で、あの父でした。わたしはどうやら「体が弱い」とか「自分の食い扶持は稼ぐ」とか「女は外見じゃない」とか、ありとあらゆる人生の負のキーワードを背負って生きてきたみたいです。そんなことに左右されないで、わがままに生きたいですよ。

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