人生の四分の三父知らず

そりゃウソだよと
遺伝子なら言う

My life,
For three quarters
Without my father.
That’s a lie
My gene would say

生きてるだけで
幸せって思える時が
一番幸せ。

ひとりさんの一日一語 (令和編)

今日は、5-7-5-7-7の和歌です。

わたしが10歳の時、弟が7歳か8歳の時に両親は離婚しました。昨年3月に父方のおじから弟経由でわたしに連絡が来たときは、「うれしい」と思いました。しかし、ふたを開けてみたら、人生の4分の3不在であった人に、お父さんだよと言われても、すんなり受け入れられないことの方が多かったのでした。

わたしは、母に執着されたので、母に似ていたのだと思っていました。人間はクローンじゃないですからね、父と母から遺伝子を受け継いだ、父とも母とも別の一人の人間でした。父より「近所の野良猫の方が共通の思い出がある」と言ったこともありましたが、わたしの体の中の遺伝子に口がきけたら、「そりゃウソだ、初めからずーっと一緒だもの」と言うだろうな~。

でも、心はそういう風に動きませんでした。受け入れの5段階ってありますが、最初に、聞かなかったことにしようかと思いました。だって介護の可能性がありました。もうすでに母と母方のおじのために2回お役目を引き受けたし、パートナーの親も他界したので、もう介護はおまけもつけて卒業した気分でした。さらに、わたしが人生で、古臭いと避けてきた価値観が、父方のおじの一連の行動、手紙の書き方や宛先の書き方、文面からもプンプン匂ってきました。男尊女卑、年功序列、「日本が最高で外国は粗悪」みたいな昭和の価値観でした。

次に、PTSD症状が再発するようになりました。以前に書いたと思いますが、7歳の時、わたしは母の狂言自殺を目撃させら、トラウマとなりました。心の問題は難しいのですが、ブログ上なので、端的に言いますと、あのトラウマ体験と、この行動と繋げられずに、30代後半以降、社会性のある行動、人づきあいが普通にできなくなってしまいました。それが「癒し」のテクニックを習得すること、その後、Tengudoを立ち上たきっかけとなりました。それなりに幸せになれたのでしたが、逆戻りしました。

そして先般、父方のおじからダメ押しのような手紙を受け取った後、「『昭和』の常識論にはついていかれない」と思いました。年寄り相手に昭和!と怒っても仕方ないので、前向きなアクションをしなければいけないと考えました。カウンセリングを予約しようかとも思いましたが、父との疎通再開に端を発しているので、父に電話しました。そして、親の男と女の話はもう聞きたくないこと、母に境界性人格障害症状があったこと、弟もわたしも同じ人格障害行動をしてしまうこと、わたしはカウンセリングを受けて、その後自分でもカウンセリングできるようにアメリカや韓国に行って勉強をしたこと等、話しました。

そして、電話を切った後に受け入れられたんですね。離婚家庭だとか、きょうだいの間で親のお気に入りの順番とか、そういうことに執着しすぎましたね。学生時代にもがっつり反抗してきました。しかし、フィリピンにも(家出して)行ったし、今パートナーと幸せに暮らしているし、そもそも、今この瞬間に生きていることに感謝するべきだったと思いました、と言う気持ちの和歌です。

頭に天国言葉。心に感謝。体に栄養。顔につやを出して、無明の世界に生きている人の光になろうとすると、体が動いて脳が正常に動かないとね、助ける側になれないからね。今日もまたゴッドハートダイエット青汁を紹介します。このサプリを飲むと腸が汚れている人はつまるんだそうです。腸の開通に2年もかかったので、どれだけ汚れていたかを実感しました。それなのに大きな病気を発病していないわたしの身体、偉かったですよ。すごく頑張ってましたね。調子がよくなってほかのサプリを減らしても大丈夫かなと安心を感じるほどです。幸せと健康に目を向けていると、自分の身体からも「ありがとう」のサインを感じられますね。

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