昨年12月のフィリピンは、曇りがちで日光が少なく、平年より肌寒かった。わたしも思わず風邪をひいたほどです。
ふらのコットンは、寒い季節で暖かく、熱い季節では涼しく過ごせるという。それなら「寒い国」でも「熱い国」でも快適に過ごせるパジャマにちがいない。そんな「ありがたさ」を想い、ふらのパジャマを注文。品物の到着を楽しみにしました。
パジャマが届く日は、もう心が弾んでいました。すぐ着てみると、数分で体が暖かくなり、同時に眠気がやってきて…。とってもリラックスしました。
今回、ふらのパジャマを着て、寝床で枕に頭を付けた後、思わぬ体験をしたのです。
わたしは、2000年にフィリピンのバリカサグというマリンサンクチュアリでダイビング中に左の頬骨骨折する事故に遭いました。その事故の衝撃をもう一度体験したかのような、不思議な感覚に気付いたのです。
怪我の手術は現地の病院で受けました。眼球を動かす筋肉が挟まり、それを引っ張り上げるというものです。その後、頑張って顔を動かしてきましたが、なんとなく顔は左右対称になりません。視界も、視力も口の開き方も、元には戻りませんでした。怪我とはそういうものだと思ってきました。
あれから約15年。ふらのパジャマを着て寝たところ、サンゴにぶつかった瞬間の凍るような気分がよみがえったのでした。
ダイビングマスクの上からやってきた瞬間的な衝撃。左の頬骨とマスクのフレームが伝えた力。目の周りから頭がい骨や顎関節、頸椎に伝わった感じと恐怖感を思い出していったのです。
事故に居合わせた人、ボートから降ろしてくれた人、島で病院に運んでくれた人、手術の間、付き添ってくれた人、退院時に費用を立て替えてくれた人、自宅のある島で心配して待っていた人がいた情景が、今ありありと映し出されていきます。
怪我をさせてしまったわたしのカラダには、怪我をした細胞たちがいて、それを再生してくれたわたし自身の身体がいたこと。その他、誰にもきちんとお礼やねぎらいの言葉も言わずにいたことに気付き、皆さん一人ずつに感謝を述べたくなりました。
人々の中には、すでに他界した方もいます。わたしは心に念じて、感謝の気持ちで全てに言葉を送りました。
あの時、不運だと思ったことは、実は自分が招いたことだった。今も自分が生きていること、それはどういうことか。生かされていること。それらをふらのコットンが教えてくれた。それは、まったく予期しない、新しい衝撃でした。