Pushed to the Limit

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帰国した頃の世の中は、アジア貨幣危機による長すぎる経済低迷、フィリピン・アブサヤフの人質事件による家計への追い打ちで、どこもかしこも我慢の限界でした。わたし個人としては、降って湧いたかのような行き違いで、急に帰国を決め、寝ないで帰ってきたのでした。

長く暮らしたセブから戻ったばかり。自分だって寂しいのに、母の様子が変で、出かけていくのもままなりません。とりあえず朝早く起きる意味もないので寝坊をしたら、母が枕元で起きろと怒鳴っていました。すごい剣幕でした。「ごくつぶし」とか「働かざる者食うべからず」とか、言われたような記憶があるような、ないような。足踏みをしながら、いつまでも怒鳴っていました。仕事がないなら、掃除をしろと言われたような、かすかな記憶があります。掃除機をかけたら、途端にニコニコし始めました。

    そうです。痴呆の患者は、突然すごい剣幕で怒り出したりするのです。
    Yes, a dementia patient can lash out with no apparent reason.

セブで長らくまともな収入がなかったので、貯金は使い果たして日本に帰ってきました。覚えていますが、銀行の残高は3800円だけでした。わたしは、帰国してから1~2週間で、母の家の近くにアパートを借りて引っ越し、仕事も見つけましたので、その間にたくさんの決断をしたことになります。

母は、朝になるとお決まりのようにわたしの枕元に立って、起きるまで足踏みをして、起きろ、ごくつぶし、働かざる者食うべからずといいました。それ以外にも機嫌の悪い様子がしつこくて、わたしが自分の頭で理解する前に母の首を絞めようと手を伸ばしてしまったこともありました。あの時は驚きました。殺意がわたしの中にあった、わたしも人を殺す要素を持っていると初めて自覚した日でした。

その前も後の、新聞等で、介護を苦に年を取った親子の無理心中という記事を何度となく見かけてきました。他人事と思っていたことなのに、ある日当事者になることがあり得るのです。だから、一人で暮らすために引っ越すことにしました。それは、同時にフィリピンへ戻ることの無期延期も意味しました。すなわち、意に沿わない覚悟をしたのでした。

寝たきりになれば7~10年ぐらいしか持たないそうです。介護は自分や家族の人生の何年かが変わってしまうことです。わたしは独身でした。30代前半だったので、ずーっと怖かったのでした。そして、怖がって過ごした年月は長かったのでした。


    そうです。痴呆の患者は、突然すごい剣幕で怒り出したりするのです。
    Yes, a dementia patient can lash out with no apparent reason.

    アルツハイマーの攻撃性は、前触れもなしに火が付いたようになります。
    Alzheimer’s aggression can flare up without warning.

元々、すぐ怒る母でした。わたしがフィリピンにいるのは反対でした。すごい剣幕で怒ることが、とても病気だとは思えなかったのでした。病気だとわかっていて、同じ次元にならないようにと、頭でわかっていたら、楽とは言わないけど、振り回されずにすんだなあと思います。

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